バブル経済と物価上昇率

1986年12月から1991年2月まで続いたバブル経済の時代は、土地を担保にして銀行から多くの融資を受けて土地や建物の不動産や株を投機的に購入する財テクが流行りましたが、その結果土地の価格が急騰して山手線の内側だけの地価でアメリカ全土を買うことが出来るほどまでになり、株価も日経平均で13000円台であった株価が、1989年の大納会で38957.44円をつけるまでに高騰しました。

そのように不動産の価格や株価が急騰した時代に、物価はどのように推移していったのでしょうか?

バブル経済の物価上昇率について、円高ドル安によって輸入品が増加していったことも交えながら述べていきます。

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バブル経済の中で続く円高ドル安傾向と輸入品の増加

1985年9月にプラザ合意がなされ、その結果を受けて各国による為替への協調介入が行なわれて、240円台であった為替レートは1986年12月までに150円台まで円安ドル高が進みました。

そこで公共事業の促進を図りながら、公定歩合の引き下げを1986年5月から翌年にかけて5回に分けて段階的に行ないました。

その結果バブル経済が訪れることになったのですが、一方の為替レートの円高ドル安は更に進んで1988年には120円台~130円前半まで円高になり、この進む円高ドル安によって海外の高級車やブランド品などの輸入品が多く入ってきました。

例えば東京を中心にメルセデスベンツやBMW3が売れていって都内を走り回っていましたし、1990年に日本で売れたロールスロイスは全生産台数の三分の一以上に上りました。

そしてファッションでは男性はワイズやコム・デ・ギャルソンなどが流行り、女性はピンキー&ダイアンやロペなどが流行って、全身をブランド品で固めるファッションが流行っていましたし、キャビアや高級ワインなどの世界の高級食材が輸入されてきて、それらの食材を使った料理が出されたり、イタリア料理をイタ飯と呼んで流行ったのもこの時期でした。

円高ドル安傾向が生んだ物価上昇率

バブル経済のときの物価上昇率の推移を見ると、1985年に2.03%であった物価上昇率は翌年の1986年には0.60%に急落し、1987年には0.12%まで下がっていき、バブル経済の前半の物価上昇率は不動産価格や株価の上昇に反して逆に下がっていました。

そして、バブル経済の後半である1988年に0.68%をつけてからは急騰して1989年に2.27%そして1991年に3.25%まで上昇をしていました。

このように輸入品が多く入ってきて人々が安い輸入品を購入していたこともあり、物価上昇率は土地や建物などの不動産や株価ほどには上がらず、逆に物価上昇率が下がる場面もありました。

ただ1989年からの物価上昇率の急騰は、1989年4月から導入された消費税3%の実施が大きく影響していました。

まとめ

1989年4月から消費税3%がつくことになったことで物価上昇率は1989年から急騰していきましたが、この消費税の導入が無ければ物価上昇率は下げ続けるか、下げ止まって低いままで推移する結果になっていたと推定することが出来ます。

しかしその結果、円高ドル安でもデフレ不況にならないで海外からの高級な輸入品が売れていたということは、バブル経済によって賃金が上昇して、豊かな生活を過ごしていた人々が多かったからだともいうことが出来ます。

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