日本におけるバブル経済の要因

バブル経済とは、土地や建物などの不動産や株式などの時価資産価格が急騰して、実際の経済状況からかけ離れた状態になった経済状況をいいますが、一般的に日本のバブル経済といった場合は、1980年代の後半から1990年代の前半にかけて起きたバブル経済を指していいます。

証券業界で働く人は、いただいた給料の札束が立ったものだと言って懐かしむ人もいますが、日本でこのようなバブル経済がなぜ起きたのか、その要因について述べていきます。

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ハイテク景気到来とアメリカの不満

レーガン大統領はアメリカのインフレ対策として、レーガノミクスと呼ばれる金融の引き締めによる経済対策をとりましたが、その結果為替の円安ドル高が進んで1ドルが220円から250円にまで円安になりました。

その結果日本のハイテク製品がアメリカで多量に売れて、経常黒字が拡大して日本にハイテク景気が訪れました。

その一方アメリカは失業率は低下したものの、経常赤字が拡大し社会保障費や軍事費などの支出の増加によって財政赤字も膨らんでしまい、いわゆる双子の赤字を背負うことになってしまいました。

その結果アメリカの不満は高まり、アメリカ国内で保護貿易主義が台頭してきました。

そしてこの状況を打開して貿易の不均衡を是正する目的で、アメリカのプラザホテルに先進国5ヶ国の蔵相や中央銀行の総裁が集まって、為替レートを調整することで合意しました。

プラザ合意からスタートしたバブル経済の要因

プラザ合意を受けて各国がドル売りの強調介入を行ない、当時240円だった為替が1年後には150円まで円高になりました。

為替レートが円高になっていくことで、同じ量をアメリカで販売しても円換算した場合の実質の利益は大きく目減りしてしまい、その結果輸出産業に大きな打撃を与えてしまい、東京や大阪などの町工場が相次いで倒産していく円高不況に突入してしまいました。

一方もう一つの要因として日本では公共投資の拡大を図りながら公定歩合の引き下げを段階的に行なって、銀行による融資を行ない易くしていきました。

その結果安い金利で運用資金を銀行から借りられるようになり、企業の業績は良くなっていきました。

そして、日本の土地は狭くて貴重なので下がらないという、都市伝説的な土地神話を背景にして、土地や建物など買った不動産を転売することで利益を出し、その不動産を更に高い価格で売って利益を出すということが繰り返えされたりして、土地や建物などの不動産価格が急騰していきました。

同時に株価も急騰を続け、プラザ合意後日経平均で15000円台だった株価はバブル経済の最中38957円まで高騰しました。

まとめ

日本におきたバブル経済は、プラザ合意による為替レートの是正と、その結果起きた円高不況による公定歩合の引き下げなどの金融政策が要因となって起きました。

そして、土地神話に見られる土地は下がらないという思いが、不動産に対して投機的な投資を呼び込んでいったことも、影の要因と考えられます。

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