バブル経済と銀行金利の推移

バブル経済では土地の価格や株価が実際の経済状態を反映しているものではありませんでしたが、そのバブル経済を生み出す要因になった日銀による公定歩合の引き下げによって、銀行金利はどのように推移していったのでしょうか?

公定歩合の変化と共に銀行金利の推移を検証していきます。

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バブル経済時代の日銀から銀行への貸し出し金利の推移

1985年9月にプラザ合意がなされて、プラザ合意前235円であった為替の是正を目的にして各国が協調介入を行なった結果、為替レートが大きく円高ドル安に変わっていき、輸出産業に大きなダメージ与えてしまい円高不況が訪れてしまいました。

そこで日銀が銀行へ貸し出しを行なう際の金利になる公定歩合を段階的に引き下げていきました。

具体的にはそれまで年率5%あった公定歩合を1986年に1月、3月、4月、10月の4回と翌年の2月を合わせて5回に分けて0.5%ずつ引き下げを行い、最終的に年率2.5%になりました。

このことによりバブル経済が始まり土地や建物などの不動産の価格や株価が急騰して、山手線の内側の地価でアメリカ全土を買えるまでになり、1986年年初13100円台であった株価も1989年の大納会では38957.44まで上昇しました。

そこで地価の高騰が物価上昇に影響を与えてインフレになることを抑えるために、銀行が新しい不動産への融資を行ない難くする総量規制を行ない、同時に1989年の5月から公定歩合の引き上げを1990年の8月まで5回に分けて行なって、最終的に年率6.0%になりました。

ただ引き下げのときに比べて引き上げの幅は大きく、0.5%から1%の範囲内で段階的に引き上げを行なったので、総量規制も加わって銀行からの融資が滞るようになり、融資を受けられなくなった企業の倒産が増えていきました。

バブル経済時代の銀行金利の推移

普通預金の金利は1985年には1.5%ありましたが、1986年~1988年まで0.26%まで下がりその後上がって1990年には2.080%になり、1992年には大幅に下がって0.38%になりました。

因みに定期金利は1991年で5.7~6.3%くらいの金利がありその後大幅に下がりました。

銀行が企業に融資を行なう際の金利ですが、融資の期限によって短期プライムレートと長期プライムレートの2種類があります。

短期プライムレートは、1985年に5.5%でしたが年々減少し1989年1月には4.25%まで下がっていました。

その後上昇に変わって1991年4月に8%台まで上がり、その後再び下がり出しバブル経済後も下がり続けていきました。

それに対して長期プライムレートは1985年までは7%台でしたが、1986年から下がり始めて1987年には5%台になりました。

しかし、1989年から1990年にかけて上昇を始めて、1990年10月には8.9%になった後に下がり、1992年の2月には6.0%になっていました。

このことから普通預金の金利も銀行が企業へ融資を行なう際の金利も、公定歩合の引き上げを行なった1990年前後上昇するときもありましたが、基本的に下がり続けていました。

まとめ

公定歩合の推移と個人の預貯金金利や企業への貸し出し金利などの銀行金利の推移を調べてみましたが、その結果個人の預貯金の金利であれ企業へ行なう融資の金利であれ、銀行金利の推移は大まかに公定歩合の推移に関連性のある動きをしていることを推測することが出来ます。

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