景気動向指標において、バブル経済の期間は1986年12月から1991年2月までの4年3ヶ月間続き、地価や株価は急騰を続けました。
そこでこの急騰を続けた地価や株価の推移を、バブル経済を生みバブル経済が崩壊に向かった要因を絡めて述べていきます。
バブル経済は公定歩合の引き下げで始まり公定歩合の引き上げと規制で終了した
日銀は公定歩合を1986年の1月から翌年の2月まで、5回に分けて0.5%ずつ段階的に引き下げを行い、最終的に年率2.5%になりました。
このことによりバブル経済が始まり、土地や建物などの不動産の価格や株価が急騰していきました。
そこで行き過ぎた地価や株価の高騰を抑えるために、日銀は新しい不動産への融資を行ない難くするために総量規制を行ない、同時に1989年の5月から1990年の8月まで5回に分けて、年率0.75%から1%に及ぶ公定歩合の引き上げを行なって、最終的に年率6.0%になりました。
バブル経済時の地価と株価の推移
東京都千代田区の住宅地価の最大価格と平均価格を例にして、バブル経済時の東京23区の地価の推移を見ていきます。
まず住宅地価の最高価格ですが、バブル経済前の1985年が2000000円であったのに対して1991年には12300000円となり、6倍以上に高騰していましたし、千代田区以外にも中央区や江東区そして渋谷区が同様に5倍以上高騰していて、その他の区でも2倍~4倍の上昇がありました。
住宅地価の平均価格では、バブル経済前が1706000円であったのに対して1991年には9080000となり、5倍以上に高騰していましたし、千代田区以外にも中央区や港区が同様に5倍以上高騰していて、渋谷区で4倍以上その他の区でも2倍~3倍の上昇がありました。
一方株価は大納会の高値をベースに見ていくと、1985年の大納会の高値が13117.94円であったのに対して、1986年の大納会の高値が18819.98円となり、1989年の大納会の高値は38957.44円まで急騰していき、1985年の株価から約3倍の株価に上昇していました。
そして、1989年の大納会にピークをつけると翌年の年始から下落を始め、1992年の大納会の高値は17254.04円となり、1989年の大納会の半値以下まで下落しました。
まとめ
景気動向指標においてバブル経済は1986年12月から1991年2月まで続いたということですし、当時の人達の実感としては1991年が過ぎてしばらくはバブル経済の余韻を楽しんでいました。
しかし、地価の推移を見るとバブル経済の崩壊前になる1990年にピークをつけていますし、株価も1989年の大納会をピークにして翌年の年始から下落を始めています。
そのことからバブル経済が崩壊する予兆は既に存在していたということになりますが、その引き金を引いたのは新しい不動産を取得するための融資に規制が入ったことと、公定歩合の引き上げでした。