経済とは不連続関数の理論に沿っています。
バブル経済においても、この法則に当てはめると良い時期が続けば悪い時期も存在致します。
ここでは、政府や日銀の政策含めて当時の日本の状況が特殊であったということについても説明いたします。
また、通常の経済の理論と交えながらも説明いたします。
バブル経済時における日本の状況
財テクブーム
バブル経済の時の日本における状況として、財テクという事があります。
簡単に言いますと、財テクとは、不動産屋や株式などを投機目的で売買するということです。
その当時は、「土地神話」という言葉通り現在の日本の状況とは少し違いました。
不動産や株式の価値は、実際の価値とはかけ離れたものになっていました。
バブル経済以前の、銀行が融資する対象もかなり変化していました。
銀行の融資案件が、製造業向けの融資から不動産などの方向にシフトしていきました。
そんな状況下において、当時は楽観的な見方が多数を占めていました。
詳細については、後術にはなりますが「失われた10年」という言葉のように深刻な経済問題を招きました。
政府による景気刺激策
政府は、バブル経済字時だけではなくこの状況に至るまで様々な経済政策を実行してきました。
バブル経済の時に、政府と日本銀行は2つの大きな政策を実行しました。
政府主導の経済政策としては、不動産融資総量規制と呼ばれる政策をおこないました。
この政策は、財テクによる現実とかけ離れた経済状況から、通常の経済状況に戻す目的でおこなわれました。
結果的に、この政策は政府の思惑とはかけ離れ、想定以上に経済にダメージを与えました。
日銀による公定歩合の引き下げ
この結果、融資の条件が緩和され当時の状況相まって、景気は良くなりました。
通常であれば、景気の波を抑えるために公定歩合引き上げを行いお金の流れを緩やかにする政策をします。
バブルの兆候は見られましたが、様々な状況や教訓がマイナスの方向に導きました。
まとめ
日本国内の状況が、バブル経済が発生し経済に長い期間影響がありました。
バブル経済崩壊の深刻さ思い知らされたのも、数字的に崩壊した後だったとも言われています。
また、通常の経済の理論に沿った政策が実行されなかったのも、ここまで深刻な経済問題を引き起こしました。
経済とは本来、波をなるべく抑えながら少しずつ景気を良くするべきなのです。
短期間に景気が良くなると、その反動として不景気の時期も続くというのは経済の基本です。