1986年12月から1991年2月まで続いたバブル経済は、アメリカにも原因の一端がありました。
そこで日本のバブル経済を生んだ原因とアメリカが果たした役割を述べていきます。
バブル経済の原因は公定歩合の引き下げと円高ドル安による輸入品の増加
プラザ合意を受けて各国が為替に協調介入を行なうと、当時240円だった為替が1年後には150円まで円高になり、この円高ドル安の傾向はバブル経済の最中も続いていて、1988年には120~130円までになっていました。
そしてその円高ドル安によってバブル経済以前は円高不況になり、日本の経済を立て直す目的で、日銀は公定歩合を1986年1月から1987年2月までの間に5回に分けて、0.5%ずつ段階的に引き下げを行いました。
その結果公定歩合の引き下げによって、銀行は企業が所有する土地を担保にして企業への融資を盛んに行なうようになりました。
銀行から融資を受けた企業は新しい土地を取得して設備投資を盛んに行ない、新しい工場を建設したり施設の拡張を行なっていき、その結果人材不足が発生して雇用が促進されていき、裕福になった個人や企業が財テクブームに乗って、土地や建物の不動産の売買や株式投資を盛んに行なうようになって、不動産価格や日経平均が急騰していきバブル経済になっていきました。
一方バブル経済の中でも進んでいった円高ドル安によって、高級自動車やブランド品などの高級な輸入品が多く出回るようになり、その結果1985年に2.03%あった物価上昇率が1987年には0.12%まで下がっていきました。
このように不動産価格や株価などの資産価格の急騰に対して物価上昇率は低下していたことが原因になって、バブル経済が起こりました。
バブル経済の引き金となった円高ドル安の為替誘導
プラザ合意前のアメリカは、レーガノミクスによって社会保障費や軍事費などの支出が増加して、財政赤字が膨らんでいました。
そして、円安ドル高によって安い日本製品がアメリカの産業を圧迫して経常赤字に転落して、財政赤字と経常赤字の双子の赤字を抱え込むことになると、日米の貿易摩擦が発生していき幾つかの産業に影響を受けた圧力団体が国会議員に圧力をかけて、アメリカに有利になるように交渉を行なうロビー活動も盛んに行なわれていました。
そこでスーパーコンピューターや航空宇宙分野などで、不公正な貿易相手国に制裁することが出来るスーパー301条の適用が検討されるようになり、一部では実際に適用がなされました。
そのような中、1985年9月にニューヨークのプラザホテルで貿易不均衡を是正する対策を検討する会議が行なわれ、プラザ合意がなされました。
その結果各国が為替に協調介入を行なって円高ドル安となり、後に日本でバブル経済が起こる原因となりました。
まとめ
バブル経済の原因は日銀が行なった公定歩合の引き下げと、プラザ合意によって変動した円高ドル安によって輸入品が増加し、その結果物価そのものの上昇率が低下したことにありました。
そして、そのバブル経済に果たしたアメリカの役割は、自国の貿易赤字を解消し財政赤字も解消しようとして行なわれたプラザ合意と、それを受けて行なわれた円高ドル安の為替誘導でした。