バブル経済が示した問題点

プラザ合意が切欠となって円高が進み、その結果起きた円高不況を是正するために日銀は公定歩合を引き下げましたが、そのことにより実体経済とかけ離れたバブル経済を生むこととなりました。

では何故実体経済とかけ離れたバブル経済が生まれてしまったのかについて、バブル経済が示した問題点を述べていきます。

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日銀の金融政策と円高が生んだバブル経済

プラザ合意前のアメリカは経常赤字と財政赤字の双子の赤字を抱えていましたが、その双子の赤字を解消して貿易不均衡を是正するために、1985年9月にプラザ合意がなされて為替の協調介入が行なわれ、大きく円高ドル安に変わっていきました。

その結果円高不況になったために日銀は1986年から1987年にかけて5回の公定歩合の引き下げを行ない、年率5.0%の公定歩合が年率2.5%までになりました。

この公定歩合の引き下げによって銀行が企業へ融資を行ない易くなり、土地を担保にして企業への融資を盛んに行なうようになりました。

銀行からの融資を受けられるようになった企業は、土地や建物を購入するようになり、個人でも土地や建物などの不動産や株式を買う人が増えていきました。

そして、地価は下がらないという土地神話を背景にして財テクブームが巻き起こり、投機的に土地や建物の不動産や株式が買われるようになりました。

その結果山手線の内部の地価でアメリカ全土が買えるほどまでに高騰し、株価では1986年13000円台だった日経平均株価は1989年の大納会では38957.44円まで高騰し、このことにより企業業績が上がって給料は増えていきました。

その一方で円高によって輸入品が増えて海外のブランド品や海外の高級車などが売れていきましたが、物価そのものはそれほど上がることはありませんでした。

バブル経済の2つの問題点

バブル経済が示した問題点はまず銀行の融資の有り方にありました。

日本の銀行の融資は慣例で山や土地を担保にして行なっていました。

これは地価が値下がりすることが無かったということに起因しますが、バブル経済に入り元々の資産価値よりも値上がりしている土地を担保にして融資を行なっていたので、一旦地価が下がると担保そのものの価値も下がっていくことになり、もしものときの回収に担保にしている土地の地価だけでは賄えなくなってしまい、不良債権が増える結果になってしまいました。

そして、もうひとつの問題点は円高にありました。

不動産価格や株価などの時価資産価格が上がったのに対して、円高によって輸入品が増加し、その結果物価がそれほど上がらなかったことも、実体経済との乖離が激しくなってしまったことの問題点に上げられます。

まとめ

日銀が行なった金融政策の結果バブル経済になるか単なる好景気で終わるかは、不動産価格や株価の上昇率と実体経済の上昇率にありました。

バブル経済では不動産価格などの上昇率が急すぎていたことと、円高の影響で輸入品が多く買われていたことにより物価の上昇が抑えられ、その結果実体経済が伸びなかったと思われます。

ですから、不動産価格や株価の上昇がもう少し緩やかで、円高が円安方向に向かっていれば、輸入品が減ると同時に輸出産業の業績が上がり、その結果好景気になって物価が上昇して実体経済も上昇することになっていたかもしれません。

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