バブルがはじけた時期

1986年12月から始まったバブル景気ですが、いざなぎ景気やいざなみ景気に次ぐ3番目の長さを誇る好景気を生みました。

しかも一般にバブルを体感した時期はバブル景気の時期と一致はしていなく、例えばジュリアナ東京はバブルが崩壊した1991年5月にオープンして大盛況となるなど、バブルが崩壊した後も体感的にはバブルの雰囲気がしばらくは存在していました。

そこでバブルがはじけた時期について、バブルがはじけた要因と合わせて述べていきます。

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バブルが膨らんだ要因とバブルがはじけた要因

当時のアメリカは経常赤字と財政赤字の双子の赤字を背負っていましたが、為替の円安ドル高を背景にして輸出産業が好調だった日本は、ハイテク景気という好景気を迎えていました。

そこでこの貿易の不均衡を是正する目的でプラザ合意がなされ、その合意に基づいて各国の為替への協調介入が行なわれて、為替は急激に円高ドル安へと移行して、日本の輸出産業が大きなダメージを受けてしまい円高不況に陥ってしまいました。

その結果日銀は公定歩合の引き下げを行なうことで銀行が企業に資金を提供し易くし、実際に企業は銀行から資金を借りていき業績も上がっていきました。

しかし、企業は得られた収益の余剰金を金利の低い銀行に預けないで、高い利益が得られる土地や建物を購入するようになりました。

その結果土地や建物の価格が上昇し、土地の価格は下がらないという土地神話にも支えられて、土地や建物の売買が盛んに行なわれるようになり急騰していきました。

同時に株価も急騰していき、円高の関係で安い輸入品が入ってきて物価水準はそれほど高くなっていないのに、土地や建物などの不動産や株価は急騰を続けるというバブル景気が訪れました。

そこでインフレを警戒した日銀は下げていった公定歩合の引き上げを段階的に行ない、最終的には年率6.0%になりました。

そしてその一方で不動産融資に関する総量規制を行なって、不動産の取得を行ない難くもしました。

その結果バブルがはじけたことによって土地や建物の価格や株価が急落していき、バブルの終焉を迎えることになりました。

バブル崩壊に先行する株価の下落とバブルがはじけた時期

1986年12月から始まったバブル景気は、1989年には合理的に説明が不可能なほどに土地の価格が上昇しており、いつはじけても不思議ではない状況になっていたのですが、政府を含めて一般的にはバブル崩壊の危機感はほとんど存在していませんでした。

しかし、急騰を続けた株価のピークは1989年の大納会につけた38915.87円で、翌年の大発会から株価は急落を始めて債権や円も同時に下がるトリプル安となっていきました。

この株価下落の要因には1989年5月から1990年8月にかけて5回に分けて行なわれた公定歩合の引き上げがあり、最終的に年率6.0%まで引き上げられました。

そして、1990年3月には銀行の不動産への融資の伸び率を、その銀行が行なう融資全体の伸び率以下に抑えるように行政指導が行なわれ、銀行からの借り入れが出来難くなりました。

その結果首都圏での新規マンション価格は1990年がピークとなるなど地価高騰のピーク感が生じてきて、その後土地や建物の価格が下落を始めましたが、景気動向指数によるとバブルがはじけた時期は1991年3月からとなっています。

まとめ

景気動向指数という、生産や雇用などの景気に敏感な各種指標を基にして算出された指標があり、その指標によってバブルがはじけた時期は1991年3月からということになっています。

しかし、それよりも前にバブル崩壊の兆しがあり、まずは先行して1990年の年始から株価が下落を始め、新規マンション価格も1990年にはピークに達していました。

この平時では気がつき易い兆候も、バブルの真っ只中では気がつき難い兆候だったといえ、その象徴のひとつがジュリアナ東京といえるのかもしれません。

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