バブル経済時の就職活動の状況

バブル経済時の就職活動はどのようだったのでしょうか?

一人の大学生に2社以上の会社が内定を出す時代のバブリーな学生の就職活動について述べていきます。

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バブル経済時の経済成長率と雇用の推移

1986年12月から1991年2月までの間バブル経済が訪れ、企業は土地を担保にして大幅な設備投資を行ない、不足した人材を確保するために雇用を促進していきました。

その結果、物価変動を省いた実質経済成長率の推移を見ると、1985年に6.33%あった実質経済成長率は円高不況の影響を受けて、1986年には2.83%まで下がりました。

しかし、公定歩合の引き下げを行なった結果実質経済成長率は上昇を始め、1987年に4.11%となり1988年には7.15%まで上昇していました。

そしてインフレ懸念を払拭するために日銀は、公定歩合の引き上げと新しい不動産への融資の総量規制を行ないましたが、その結果実質経済成長率は下がり始め、1989年に5.37%となりバブル経済が崩壊した1991年には3.32%まで下がり、その後は1993年の0.17%まで低下していきました。

一方1986年には0.62倍であったパートを除く有効求人倍率は、年々上昇を続けて1991年には1.40倍にまでなり、大卒の求人倍率も1991年には2.86倍となりました。

簡単に行なわれた内定決定と内定者の囲い込み

バブル経済により盛んに行なわれた設備投資が行なわれ、景気が良くなってきたことで人材不足となった企業は多くの人材を採用するようになり、一人の大卒者に2社以上の企業が内定を出す状況になっていました。

そのため多くの学生の注目を集めようとしてテレビなどに広告を出したり、豪華な企業パンフレットを作成して配布していきましたし、都市部の大学生が企画するイベントに協賛する企業もありました。

その結果、面接を受けたらその場で内定が決定して明日から働いて欲しいといわれたり、会社説明会に出席しただけで内定が決まることもありましたし、同じ大学の卒業生から就職を催促する電話があったり、教授などの紹介で内定が決まることもありました。

そして、解禁日に内定を出すとすぐに、内定祝いや研修などの名目で2・3日から1週間程度国内旅行や海外旅行などに連れ出して、他社の面接に行かないようにもしていましたし、会社説明会で豪華な昼食が出されたり、多額の交通費が出されたりもしました。

まとめ

バブル経済時の就職活動は企業が専ら行なっていて、学生が行なう就職活動はとりあえず会社説明会や面接に行くことでした。

しかも、会社説明会に出席するだけで豪華な昼食が食べられて多額の交通費が得られましたし、円高ドル安なので基本的に海外旅行には向かない為替の状況の中で、会社の費用で海外などの旅行にも行くことが出来、当時の学生は優遇された就職活動を行なっていた時代でした。

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