1986年12月から始まったバブル経済は東京などの大都市に集中していましたが、地方もその恩恵を受ける地域がありました。
それではどのような恩恵を受けていたのでしょうか、地方が受けていたバブル経済の恩恵を述べていきます。
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地方に流れた豊富な資金が生んだリゾート開発
バブル経済によって東京などの地価などの不動産価格が高騰を続け、例えば東京都千代田区の住宅地価の平均価格は、バブル経済前が1706000円であったのに対して1991年には9080000となり、5倍以上に高騰していました。
そのような中で1987年6月に、リゾート法と呼ばれる総合保養地域整備法が施行されました。
このリゾート法は地域の振興を計ることで内需の拡大を目指した法律で、都道府県が企画を行なって国から承認が得られれば、資金的にも税制的にも優遇されるため、地方の各地で大規模なリゾート開発の構想が練られて実現していきました。
最初に宮崎・日南海岸リゾート構想や三重サンベルトゾーン構想そして会津フレッシュリゾート構想の3件のリゾート構想が1987年中に出されて1988年7月に承認を受けましたが、1991年にかけて30以上の地域が承認を受けてリゾート開発を行なっていきました。
承認を受けたリゾート構想は、敷地面積では最小でも兵庫県淡路島の59785haとなり、最大は北海道の334397haと広大な敷地面積を使用していました。
そして、金額的には島根県の1000億円が最低となり、千葉県の9600億円が最高となっていました。
一方このリゾート開発にスキーブームが重なって、スキー場付近に多くのリゾートホテルが建設されていきました。
特に全国のリゾートホテルの三分の二が新潟県湯沢町に集まり、リゾートホテルに宿泊して朝から夜までスキーを楽しむ人で賑わい、当時流行った映画の影響もあって、スキー場は出会いとテートの場となっていました。
しかし、これらのリゾート開発の多くは赤字を余儀なくされ、バブル経済が崩壊すると廃業に追い込まれた施設が多く現れていきました。
そしてゴルフ場の開発もバブル経済時に盛んに行なわれていき、1990年代には2000を越えるゴルフ場が全国にでき、ゴルフの会員権の価値が高騰して、投機目的でゴルフの会員権を売買されてもいました。
まとめ
バブル経済時にリゾート法の影響もあって地方の各地で大規模な開発が行なわれていきましたが、多くリゾート開発が資金難に陥っていく中で、スキーやゴルフなど一部ではブームになっているものもありました。
しかし、バブル経済が崩壊すると、多くのスキー場やゴルフ場も経営が苦しくなっていきました。