バブル経済の崩壊と不良債権処理

バブル経済が崩壊することで多くの企業が資金難となり、受けた融資の返済が出来なくなって倒産する企業も出てきました。

その結果回収が出来なくなった不良債権が膨らみ、破綻する銀行も出てきました。

そのような中で不良債権処理はどのように行なわれたのかを述べていきます。

スポンサーリンク
bubble-economyレクタングル大

バブル経済が残した不良債権

バブル経済の中、銀行は上がり続ける土地を担保にして企業への融資を行なっていき、その結果企業の金融負債は年間で平均142兆円のペースで増え続けていき、1990年には636兆円の純負債を抱えていましたが、当時は高騰している担保価値によりこの負債は重荷にはなっていませんでした。

しかし1989年の5月から1990年の8月までの間に日銀は段階的に公定歩合を引き上げていって最終的に年率6.0%になり、1990年には不動産への新しい融資を行ない難くする総量規制を銀行に対して行ないました。

その結果担保にしている土地の資産価値が下がり、融資を受けられなくなった企業の業績が悪化して返済が滞るようになり、多くの銀行が不良債権を抱えるようになっていき、1994年に東京協和信組や安全信組が破綻し、翌年には木更津信用組合などが破綻していきました。

そのような中、特に住専が抱えた不良債権は甚大なものとなりました。

住専は住宅金融専門会社のことで8社あり、銀行や証券会社そして生命保険会社や農協系の金融機関などが出資して、個人向けの住宅ローンの会社として設立されました。

しかしバブル経済時には農協系の金融機関が出資している共同住宅ローン以外の7社は、不動産業者への融資を盛んに行なっていきましたが、バブル崩壊により貸したお金の返済が滞って不良債権が膨らんでいき、1996年に共同住宅ローン以外の7社が破綻しました。

バブル経済が残した不良債権処理

1994年に破綻した東京協和信組と安全信組の不良債権処理を行なう目的で、1995年に東京共同銀行が設立されました。

そしてその東京共同銀行が母体になって1996年に整理回収銀行が設立されて、不良債権処理を行なっていました。

1995年に破綻した木更津信用組合は、預金保険機構から1兆44億円の資金贈与を受けて預金の全額を補償して、定期預金の満期前の解約が不可になりましたが、預金の全額払い戻しを行ないました。

ただ、預金以外の金融商品の抵当証券は保護されなかったので、元本割れしてしまいました。

破綻後木更津信用組合の店舗は順次統合されていき、本店のみになった1997年2月に整理回収銀行に営業を譲渡しました。

そしてその一方政府は6085億円の公的資金を投入して破綻した住専7社の清算を行ない、債権は1996年7月に設立され住宅金融債権管理機構に譲渡され不良債権処理として、不良債権の買取や回収を始めました。

因みに住宅金融債権管理機構は1999年4月には整理回収銀行と合併して、現在は整理回収機構となっています。

まとめ

バブル経済が崩壊することで銀行は多額の不良債権を抱えることになってしまいました。

そして、その不良債権処理を行なう目的で公的資金が投入されたり、債権回収銀行などで不良債権処理が行なわれていきましたが、バブル崩壊の痛手は大きく、失われた10年といわれる時期を迎えることになりました。

スポンサーリンク
bubble-economyレクタングル大

bubble-economyレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする