1986年12月から1991年2月までの間4年3ヶ月間ほど続いたバブル景気ですが、そのバブ景気ルが日本に与えた影響は何だっだのでしょうか?
日本に住む当時の人達の行動の変化から述べていきます。
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バブル景気が日本に与えた影響
バブル景気が日本に訪れると土地を担保にして融資を受けていた企業は、土地の価格が上がることで担保価値も上がり、更に多くの融資を受けられるようになり、更に土地を購入したり設備投資を行なっていき、その結果多くの雇用を生んでいきました。
そして企業の業績は上がり賃金も上がっていって、その結果裕福になっていった企業や個人は、財テクを行なうようになりました。
財テクとは財務テクノロジーの略で、余った資金で株式投資を行なったり、土地や建物などの不動産を購入したりすることですが、当時主婦やサラリーマンを含めて多くの個人投資家が上がり続ける株式に投資を行なっていて、個人が貯蓄以外にお金を運用して不就労所得を得る方法を模索していった時代でもありました。
1987年にリゾート法が制定されて、その影響で地方の活性化を旗印に日本の各地でリゾート開発が行なわれていき、膨大な資金をかけたテーマパークやリゾートホテルなどが各地に出来ていきました。
例えば新潟県湯沢町には全国のリゾートホテルの三分の二が集まり、1987年11月に公開されたスキーの映画の影響もあってスキーブームが発生して、湯沢町などのスキー場が賑わっていましたs、リゾートホテルの近くにあるスキー場では松任谷由実の曲が流れ続けていて、スキー場がデートスポットであったり、出会いの場にもなっていました。
一方バブル景気に入っても円高ドル安が続き、高級自動車やブランド品などの輸入が盛んに行なわれて、メレスデス・ベンツやBMWなどの自動車が東京都内を走り回り、ブランド品を身に着けた若者が多く街を歩いていました。
そして、夜の街も賑わっていて飲んだ帰りに自宅まで送ってくれる専門のアッシーと呼ばれる彼氏がいたり、プレゼントをくれる専門の貢君という彼氏がいたり、食事を奢ってくれるだけのメッシーと呼ばれる彼氏がいたりする女性が多くいました。
このように当時は娯楽に多くの出費を費やす時代でもありました。
まとめ
バブル景気には財テクブームが沸き起こることで、多くの人達がお金を増やす方法を模索するようになりましたし、高級な輸入品を安く買ったりスキーなどの娯楽を楽しんでいましたし、アッシーなどの専門の彼氏を持てたことも、それだけ裕福な若い男性が多かったと言うことも出来ます。
このことから、当時の人達はお金に関して大きな影響を受けていて、お金を増やしたり娯楽に使うことに大きな関心が向いていた時代であった、ともいえるのではないでしょうか。