バブル経済を予防するには

バブルの時代の言い表し方としてバブル経済とバブル景気がありますが、似たようなこの言葉には違いがあるのでしょうか?

バブルの時代をバブル経済とバブル景気でそれぞれ説明することで、バブル経済とバブル景気の違いを述べていきます。

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バブル経済としてバブルの時代を説明すると

プラザ合意前で235円であった為替は、1985年9月にプラザ合意がなされた後急激に円高ドル安が進み、バブルの時代に入って120円台にまでなり、円その高対策の為に日銀は年率5%あった公定歩合を1986年5月から段階的に引き下げていき、1987年の2月には年率2.5%にまで引き下げられました。

このことにより銀行が企業に融資を行なう際の金利も下がっていき、1985年に5.5%あった短期の企業への貸出金利は1989年1月には4.25%にまで下がりましたし、1985年まで7%程度であった長期の企業への貸出金利は、1986年から下がり始めて1987年には5%ほどになりました。

その結果銀行による企業への融資が増えていき、土地を担保にして融資を受けた企業は新しい工場や土地などを購入していきました。

そして施設が増えるなどにより人手不足が深刻になって多くの雇用が生まれていき、1986年には0.62倍であったパートを除く有効求人倍率は、年々上昇を続けて1991年には1.40倍になり、大卒の求人倍率も1991年には2.86倍となりました。

バブル景気としてバブルの時代を説明すると

土地の価格は下がらないという土地神話の影響もあり、企業や個人が財テク目的で土地や建物などを購入したり、株式取引を行なうようになっていき、不動産価格や株価が急騰していきました。

例えば1985年に1706000円であった東京都千代田区の住宅地価の平均価格は1991年には5倍以上の9080000円となりましたし、株価も1985年の大納会の高値が13117.94円であったのに対して、1989年の大納会の高値は約3倍の38957.44円まで急騰していました。

土地や建物などを購入する動きはそのうち地方や海外に波及していき、1987年にリゾート法が改正されると日本の各地で大規模なリゾート開発行なわれるようになり、例えば長野県湯沢町では、全国のリゾートマンションの三分の一にあたる3912戸のリゾートマンションが建設され、1989年には三菱地所が約2000億円でアメリカのロックフェラーセンターを購入しました。

そしてバブル経済によって収入が増えた一方、円高ドル安によって高級な外車やブランド品などの輸入品が安く購入出来るようになり、輸入品のブームが沸き起こっていきました。

例えば輸入車の場合、1985年頃で5万台ほどであった輸入車の販売台数は1987年に約10万台、そして1990年には約21万台ほどとなり、5年間で4倍の輸入車が販売されていました。

具体的には赤坂のサニー」と呼ばれたメルセデス・ベンツのW201や「六本木のカローラ」と呼ばれたBMWのE30型318iが流行っていましたし、1990年にはロールスロイスの全生産台数の三分の一以上が日本で売れてもいました。

ファッションでは男性はワイズやコム・デ・ギャルソンなど、そして女性はピンキー&ダイアンやロペなどのブランド品を着こなしていましたし、ワンレンボディコンや渋カジが流行した時代でもありました。

一方海外からキャビアや高級ワインなどの高級食材が輸入されてきてグルメブームが沸き起こり、イタリア料理がイタ飯と呼ばれて流行ってもいました。

まとめ

バブル経済とは不動産や株価などの資産価格が実際の経済とかけ離れている経済の状態を表していて、バブル景気はバブル経済と若干違い資産価格が実際の経済とかけ離れることで発生した社会情勢の変化などが含まれています。

つまりバブル経済とバブル景気は共にバブル時代の様子を表している言葉で大きな違いはなく、バブル時代の様子を経済の観点で見た場合と、それに付随した社会現象などの観点で見た場合の違いがあるだけになります。

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